与謝野町

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基幹産業「丹後ちりめん」が織りしてきた300年を紡ぐストーリーが2017年「日本遺産」に認定されました

京都府北部、日本海に面した丹後半島の付け根に位置する与謝野町。鬼伝説の残る大江山連峰に抱かれ、その山々を水源とし加悦谷平野を南北に流れる野田川は、日本三景・天橋立の内海となる阿蘇海へとつながっています。

肥沃な扇状地と豊かな水源、雨が多く湿度が高い「うらにし」とよばれる気候は、古くから、農業や織物業を育んできました。

奈良時代に丹後で織られ聖武天皇に献上された絹織物は現在も正倉院に残され、南北朝時代には「丹後精好」という絹織物を織っていたことが書物に記されています。江戸時代には、峰山の絹屋佐平治が京都西陣から持ち帰った撚糸技術に加えて独特の風合いのあるシボをもった「ちりめん」を創織し、当地域の手米屋小右衛門と山本屋佐兵衛らの尽力によって「丹後ちりめん」が広がり、今日まで約300年地場産業として発展してきました。

一方、農業においては、近年、農産物の安心・安全志向や環境問題への関心が高まる中、町独自の有機質肥料「京の豆っこ」による、環境にやさしい自然循環農業を先駆的に取り組んでいます。

また、かつては海を通じて大陸との交流が盛んであった日本海側が表日本であったといわれるように、当地域も出雲・越地方と並ぶ古代からの文化地帯で、弥生時代のガラス釧(腕輪)や多数の鉄剣などが発見された大風呂南墳墓群、丹後三大古墳の一つである蛭子山古墳(国史跡)をはじめとする貴重な遺跡が分布し、「丹後王国」の一画を占めていたともいわれています。

近世には「丹後の堺」と称されるほど栄えた廻船業の歴史や、与謝蕪村、与謝野鉄幹・晶子など文人のゆかりも数多く残されており、古くから、文化と産業が息づく豊かな町です。

主な創造都市(農村)の取組紹介

与謝野町では、町が保有する潜在的資源(人・自然・産業・文化)の価値(安心安全・個性・もてなし)を可視化させながら、町民によるしごと創出、雇用創出を図る仕組みづくりと、持続可能な循環型社会の構築を図るため、「みえるまち」をコンセプトに掲げ、産業政策として「与謝野ブランド戦略」を推進しています。

地域にある価値の発見

基幹産業の農業・織物業など、ものづくり産業の担い手を通して町を紹介する動画サイト「織りなす人-YOSANO WEAVER-」や、かべ新聞「うちのまち」を発行し、町内外の人々に町に潜在する価値に目を向けてもらう取り組みを展開しています。

安心安全をまちの強みに

与謝野町の農業の強みは町を挙げて土づくりに誠実に向き合っているところ。おから・米ぬか・魚あらといった天然素材でつくられる有機質肥料「京の豆っこ」が、安心安全で、美味しい農作物の栽培を支えています。その肥料を使った農産物の生産振興や六次産業化・農商工連携を進めるため、肥料の増産と形状改良を行う製造設備の改修に着手しています。

海の玄関・拠点づくり

阿蘇海沿岸地域を町内外の交流が生まれ、町民の挑戦を支えるエリアとして構築するため、「阿蘇ベイエリア活性化マスタープラン」を策定。公園や空き倉庫等を活用し賑わいを生む取り組みへの支援や公共施設のリノベーションを行い、拠点エリアの構築を進めています。

新たな挑戦

既存産業の活性化や新産業の創出を目指し、新たな挑戦も支援しています。町内でのビール醸造も見据え、ビールの原料となるホップの試験栽培に着手、品種の選定と町に適した栽培方法を蓄積しています。また、シルク産地としての価値をさらに高めるため、桑栽培から養蚕を手がけ、与謝野産シルクによる新産業の創出を目指すシルクプロジェクトも始動しています。

産業の担い手の発掘と育成

地域産業の活性化で最も重要である人材の育成にも力を入れています。織物業の次世代の担い手である20代・30代の織物事業者を対象にした「オープンテキスタイルプロジェクト」では、特設サイト「ひらく織」を開設し、産地間交流を始めています。また、地域資源を生かした事業創出を図る人材を育むため、「与謝野みらい大学」内に「ビジネス学部」を設け、人材育成事業を展開しています。

天橋立を横一文字に望む阿蘇海周辺エリアを産業振興の拠点と位置づけ、SUPなど新たな取り組みを推進しています
新産業の創出を目指す新たな挑戦として、ビールの原料となるホップの試験栽培に取り組んでいます

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